バルゴンの断末魔です(断末魔博士)

覚えやすいタイトルがまずかった、おさげ萌えが「レッドデータガール」の番宣スポットを観てついと原作本を買ってきたが、これが進学を控えたヒロインたちの紋切り型にもほどがある導入部から始まって、警視庁公安部で腕っこきの潜入捜査官のヒロインの母親、そしてシリコンバレーに招聘されるほどの天才プログラマーのヒロインの父親の紹介が出たところであほらしくなって読むのをやめた。しかもそのわずか10ページが100ページにも感じる冗漫な筆致にも呻吟する。大枚552円を払って珍しく新本で買ったもんだから言いたい放題である。ついでにアニメもせっかくのメル先生のキャラがもったいないけど観るのやめる(PAワークスだし)。

ちなみに読んでいくといずれ伝奇モノになるらしい。なら「レッドデータガール」なんてアカデミックなタイトルをつけんなよと。

川端康成「虹いくたび(150えん)」読了。ご婦人向けの大衆小説っぽいと思いながら読んでたら、昭和25年に「婦人公論」に連載された作品だったらしい。だからかどうかしらん、とても読みやすくてドラマチックで面白かったけど、これと言って何も印象に残らなかった。あえて開巻の「琵琶湖の向こう岸に虹が立つのを麻子は見た」と言うのがバルゴン的に、「京都の女は足がきれいで唇が柔らかい(男の唇のままに吸いつくような)」と言うのがせんぐら的に心に残ったくらい。川端先生ごめんなさい。

そしてもうひとつ、特攻隊で散華した青年の日記の「父は息子をよく理解しなかった。息子の真価をよく認識しなかった。(それが死にゆく息子の心残りでさびしさだった)」が印象に残ったまま、続いてフィツジェラルドの「華麗なるギャツビー(100えん)」を読み始めたら、これも開巻に「父も僕も口数が少ないわりに、いつでもお互いの意思が通じすぎるぐらい通じたから」とあって、日米の親子関係の懸隔にとてもさびしい気分に。